カミサンがいきなり「武蔵小山の商店街で曼珠沙華が一面に咲いたポスターみたんだけど、そこ行きたいっ」と行ってきた。場所はわからないと。新聞で埼玉の日高市の曼珠沙華公園の記事が出ていたのを思い出し、iPadbでこれじゃないっ、と見せる。「新宿から行くと書いて会ったけど……」と頼りない。ここしかないってと説得したら納得したようで、今が見頃と出ていたので出かけることになった。行くのは新宿からてせはなく池袋から西武で行く。飯能まだ急行。乗り換えて2駅で高麗。下車して15分ほど歩くと巾着田曼珠沙華公園。
公園の前から道の両側に曼珠沙華が咲いている。名産品も並べて売っている。珍しいものもあった。そして曼珠沙華がだんだん増えてきて公園の料金所。300円で入場する。入ると一面の曼珠沙華。早咲きと遅咲きがあるともらったパンフレットに書いてあったが、どちらも見頃。びっくりしたのは白い曼珠沙華があったこと。赤と思い込んでいたけど白もほんの少し咲いていた。
巾着田というのは川がΩ形の180度回転した形に浸食され巾着の形に似ているので巾着田。川の内部を整地したら曼珠沙華が咲き出したのだという。まあ、見事でした。カミサン大喜びだったから良かったかなっと。
埼玉日高市の巾着田曼珠沙華公園に来たのだが、その他にもおもしろいものがあった。これだから知らない場所へ先入感なしで行くのは止められない。まず駅の改札を出ると、赤い2本の柱が目に入る。トーテンポールかと思ったら漢字が書いてあって朝鮮ぽい感じ。何で立っているのかわからずに着田曼珠沙華公園へ向かうと道端で花ナスを売っていた。みるのは初めて。トマトのようなものがたくさんきの枝についている。カミサンは知っていたらしく「生け花に使うっ」と。キイロのホヤが付いたようなものもあった。野菜をカゴに入れたものも売っていた。
着田曼珠沙華公園に入ると特産のお菜とか、初めてみるものもあった。地元案内のパンフレットがおいてあって、もうじき高麗郡ができて1300年とか、高麗神社でイベントとかが書かれていた。芝生で昼飯を食べながらパンフレットを見ると、高麗という地名は高句麗から来ていて、日本にきて住み着いたところが高麗郡になったのだけど入間郡に編入されてなくなってしまった。もうじき高麗郡ができて1300面で、高麗神社で流鏑馬の短い弓の朝鮮版をしたり、川越などでもいろいろイベントがあるよう。花ナスなど他で見ることのできないものがあるのかそのためかなっ。そういえば巾着田曼珠沙華公園と言う名前も朝鮮っぼい。手書きでは到底書けない漢字だ。パソコンのカナ漢字変換があってアリガトウだな。
石碑は高麗川をイカダで運搬していた時代に干ばつがあって、雨乞いのような石碑。川越も米や油彩を江戸に運び、帰りに肥だめを積んで帰ったとか。大名はいいものを食べていたので高値だったらしい。それとリサイクルが完成していたと新聞に出ていたと思う。
テレビで見た、さきたま古墳群や忍城、ゼリーフライなどがある行田へ天気もいいので出かけ
る。あちこち自由に回るには、自分の自家用2輪車の方が便利と、久しぶりに輪行する。月曜日でレンタサイクルは休みだったので正解。
秩父鉄道の羽生駅から行田市駅へ。行田は埼玉発祥の地。駅前から銅製わらべ人形が置かれている。この人形や指示板、観光施設は手が入れられていて、なかなかお金がかかっている感じ。寺社仏閣も古いものが残っていて、伊奈利神社なんて面白い名前もあったし、円澄生誕の地や地元の大工さんが建てた三重の塔もあった。
たんぼアートは見るつもりはなかったが、古代蓮の里に寄ったら、ここも休館。コンバインで稲刈りをしていた。さきたま古墳公園、水城公園は花が咲いて、整備は見事。
る。あちこち自由に回るには、自分の自家用2輪車の方が便利と、久しぶりに輪行する。月曜日でレンタサイクルは休みだったので正解。
秩父鉄道の羽生駅から行田市駅へ。行田は埼玉発祥の地。駅前から銅製わらべ人形が置かれている。この人形や指示板、観光施設は手が入れられていて、なかなかお金がかかっている感じ。寺社仏閣も古いものが残っていて、伊奈利神社なんて面白い名前もあったし、円澄生誕の地や地元の大工さんが建てた三重の塔もあった。
たんぼアートは見るつもりはなかったが、古代蓮の里に寄ったら、ここも休館。コンバインで稲刈りをしていた。さきたま古墳公園、水城公園は花が咲いて、整備は見事。
忍城からさきたま古墳公園へ。古墳が集まっている場所が整備されて、広い公園になっているのだ。自家用2輪車を走らせると、芝生の公園が表れる。まず丸墓山古墳へ。円墳で頂上に登れるようになっている。手前の短い堤防は“石田堤”。石田三成が築いた水攻めのための堤防の一部らしい。古墳の上に石田群は陣を敷いたとも言われている。
稲荷山古墳は改修中で上に登れなかった。将軍山古墳の展示館は月曜日で休館。二子山古墳も改修中。周りのコスモスが満開なのが慰めかな。道路を挟んで博物館とはにわの館。この二つも休館。瓦塚古墳、鉄砲山古墳、奥の山古墳、中の山古墳が周囲にあるが、こちら側の整備はこれからという感じ。
すべての古墳をまわり、腹が減ったので道路沿いにある“きのこ汁うどんの田舎っぺ”でもナス汁うどんを食べる。ナスに付汁が染みこんで意外にうまい。離れた場所にある古墳に向かうことにする。
稲荷山古墳は改修中で上に登れなかった。将軍山古墳の展示館は月曜日で休館。二子山古墳も改修中。周りのコスモスが満開なのが慰めかな。道路を挟んで博物館とはにわの館。この二つも休館。瓦塚古墳、鉄砲山古墳、奥の山古墳、中の山古墳が周囲にあるが、こちら側の整備はこれからという感じ。
すべての古墳をまわり、腹が減ったので道路沿いにある“きのこ汁うどんの田舎っぺ”でもナス汁うどんを食べる。ナスに付汁が染みこんで意外にうまい。離れた場所にある古墳に向かうことにする。
古墳公園の直ぐ横に、埼玉発祥の前玉(さきたま)神社があるというので自家用2輪車を走らせる。ほんとにすぐ近くで、公園の続き。やや盛上がった上に神社があった。手前には浅間神社。どちらも提灯がすすけて真っ黒。埼玉の発祥の地であるのなら、白を保ってほしいところ。古墳の上に神社を建立したようで“浅間塚古墳”と言われている。
その他にも古墳は点在していて、自家用2輪車で行くことができそうなところを目指す。そうしたら高い塔が表れて近づくと“古代蓮の里”だったかな。テレビで田んぼアートをやっていたと思う。しかし月曜日で休館。田んぼも刈り取り作業中だった。
宮大工ではなく、普通の大工さんが建てた三条の塔があって寄ると、近くに小さな古墳があると寺院の地図に出ていた。行ってみたがわからない。途中に小高い茂みがあったけど、それがそうかも。
目指す“八幡山古墳”になかなか着かないので、引き返そうかとも考えていたら、工場と住宅街の中にあった。石棺が残っていて鍵がかかっている。柵越しにのぞいているとおじいさんが現れた。「見たいの?。見たいなら鍵持っているから開けてやるよ。」と鍵を出してくれた。「外人さんがバスで大勢やってきて好き勝手やるから鍵架けた。」とのことだった。ここまで来るかインバウンド。
これで終わりにしようと思っていたが、石棺があってなかなか良かったので、もうひとつ目指すことにする。賃貸アパートの前だったけど、割合簡単に見つかった。上にお地蔵さんがあるので“地蔵塚古墳”なんだとさ。
日も下がってきたので秩父鉄道行田市駅に戻る。途中、船着場跡や屋敷跡などの石碑があった。よく整備されていると思う。熊谷に出て新宿湘南ラインで大崎へ。下車して自家用2輪車で帰宅。
その他にも古墳は点在していて、自家用2輪車で行くことができそうなところを目指す。そうしたら高い塔が表れて近づくと“古代蓮の里”だったかな。テレビで田んぼアートをやっていたと思う。しかし月曜日で休館。田んぼも刈り取り作業中だった。
宮大工ではなく、普通の大工さんが建てた三条の塔があって寄ると、近くに小さな古墳があると寺院の地図に出ていた。行ってみたがわからない。途中に小高い茂みがあったけど、それがそうかも。
目指す“八幡山古墳”になかなか着かないので、引き返そうかとも考えていたら、工場と住宅街の中にあった。石棺が残っていて鍵がかかっている。柵越しにのぞいているとおじいさんが現れた。「見たいの?。見たいなら鍵持っているから開けてやるよ。」と鍵を出してくれた。「外人さんがバスで大勢やってきて好き勝手やるから鍵架けた。」とのことだった。ここまで来るかインバウンド。
これで終わりにしようと思っていたが、石棺があってなかなか良かったので、もうひとつ目指すことにする。賃貸アパートの前だったけど、割合簡単に見つかった。上にお地蔵さんがあるので“地蔵塚古墳”なんだとさ。
日も下がってきたので秩父鉄道行田市駅に戻る。途中、船着場跡や屋敷跡などの石碑があった。よく整備されていると思う。熊谷に出て新宿湘南ラインで大崎へ。下車して自家用2輪車で帰宅。